被災地炊き出し支援活動報告


被災地への炊き出し支援活動報告 〜宮城県石巻市・岩手県大船渡市〜


 平成23年4月15日(金)から19日(火)までの間、網走市の調理師会や社交業組合・観光協会・市役所・社会福祉協議会でつくる『被災地派遣実行委員会』(堀口敏幸実行委員長)が、東日本大震災により被災した宮城県石巻市と岩手県大船渡市で炊き出し支援活動を行いました。 
石巻市での炊き出しの様子


大船渡市での炊き出しの様子
 現地では「オホーツク網走ザンギ丼」と「モヨロ汁」約1,800食のほか「網走の天然水」や「天才ビートくん」やお菓子類、温かいコーヒーを提供し、また、網走の市民ボランティアの皆様が急きょ作って下さった手づくりの爪楊枝入れや竹とんぼ、指人形を配布しました。

 石巻市と大船渡市の皆様はとても温かく気さくに私たちを迎えて下さり、温かい食事や提供した品々を大変喜んで頂き、たくさんの方から「ありがとう。」の声を頂きました。
 
 今回お世話になりました石巻市と大船渡市の皆様、並びに各被災地の皆様の1日も早い生活再建と地域の復興を心よりお祈り申し上げます。

大船渡市では日が暮れるまで炊き出しが続きました。


宮城県石巻市 岩手県大船渡市




INDEX
 
活動の道程   【1日目】  【2日目】  【3日目】  【4〜5日目】
被災地派遣実行委員会及び支援協力企業・団体
網走市被災地支援協力隊
被災地支援活動に参加して





活動の道程


【1日目】 平成23年4月15日(金) 網走〜苫小牧港〜仙台港
 
 出発の日、炊き出し活動のメンバーは朝8時前に市役所前に集合し、出発式が行われました。
 出発式では市長をはじめ市職員や市議の皆様など多くの方々が集まって下さり、市長から激励のご挨拶と堀口実行委員長より「被災地の方々に温かい食事を食べて頂いて元気をつけてほしい。」との決意表明の後バスに乗り込み網走を出発しました。
 
 今回の活動では活動メンバーが乗るバスのほか、食材や水を積んだ保冷車と鍋やフライヤーなどの資材を積んだトラックの3台編成での移動となりました。
 
 この日は終日移動日で、網走を午前8時に出発して午後3時半過ぎに苫小牧港に到着しフェリーに乗り込んだあと、午後7時に仙台港へ向けて出港しました。
 この時期、フェリーは一般の旅客は乗船しておらず被災地支援に向かう自衛官や消防士が乗り合わせていました。
 
 フェリー内ではそれぞれにカプセル式の寝台が割り当てられ、荷物を置くと早速船内でミーティングが行われ、自己紹介のほか今回の活動のスケジュールや活動内容を確認しました。
 


バスに荷物を積込み

出発式

横幕を用意して下さいました

バス内

仙台へ向かうフェリー「きたかみ」

乗船を待つメンバー

この日の宿

船内でのミーティング

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【2日目】 平成23年4月16日(土) 仙台港〜宮城県石巻市〜岩手県北上市
 
 2日目は朝10時に仙台港に入港し、仙台港からそのまま一つ目の炊き出し場所である石巻市へ向かいました。
 
 仙台港内や道中も津波の被害の跡が至るところに見られ、倒壊した建物や瓦礫の山、道路脇や中央分離帯に転がった車両、陸地に乗り上げた船、陥没した道路、川の中の瓦礫や車など震災の被害の大きさに驚かされました。
 また、石巻市へ向かうバスの中ではラジオから地震発生の情報が流れ、まだ余震の頻発する中での活動であることを実感しました。
 

 
 午後1時頃に炊き出し会場となる石巻市のスーパー「ヨークベニマル大街道店」に到着しました。
 会場に着くとすぐに会場設営を始め、スーパー前にテント2張を設営し、ガス機器や鍋・フライヤー等の調理器具を設置し、調理師の皆さんが食材の準備と調理を開始しました。
 
 この日は強風が吹いていましたが天気は晴れており、会場には既に携帯電話の掲示板で私たちの炊き出しの情報を見て待っていて下さった方や、スーパーにお買い物に来た方々から「どちらから来られたの?」「何をつくるの?」と声をかけて頂き、食事が出来上がるまでの間は網走から持参したペットボトル水やお菓子、ボランティアの方々が作ってくれた爪楊枝入れやカエルの指人形を集まって下さった皆さんにお配りしました。
 
 食事が出来上がる頃にはたくさんの方が列をつくって並び、食事の提供を始めるとその場で召し上がる方やご家族の分も数杯まとめてお持ち帰りになる方、お鍋を持参して来られる方などへ全員がフル回転で提供にあたりました。
 
 来られた方々の中には避難所で生活されている方や自宅が流され身内の住宅の2階で生活されている方、浸水した自宅の片付けをされていた方など様々な状況の中で生活されている方がいらっしゃいました。
 
 石巻市の方々は気さくに私たちを迎えて下さり、温かい食事を「うまい。」と言って召し上がる方や爪楊枝入れを「かわいい。」と言って持って行かれる方、カエルの指人形で早速遊ぶ子供がいて、当初は初めての活動に緊張していた私たちも予想以上の盛況に元気づけられました。
 

 
 この日の会場となった「ヨークベニマル大街道店」は、店舗の修復工事を行いながら商品の品数が少ない中で営業をされており、店舗の裏手の住宅地の一帯にも震災の被害が見られ、道路脇に寄せられた瓦礫の山や半壊した家屋、つぶれた車があり、辺りは埃や粉じんが風で巻き上げられている状況にありました。
 
 この日は午後6時頃までに700食の炊き出しを行い、会場撤収後、宿泊地となる岩手県北上市へ向かいました。
  


仙台港内のひしゃげたトラック

仙台市内の道路脇の車両

陸地に流された船

瓦礫の山

会場の「ヨークベニマル大街道店」

店舗前に会場設営

すぐに調理に入ります

チームワーク

ザンギ丼の下ごしらえ

丼にかけるヤマイモ

モヨロ汁

コーヒーを落とします

「網走の天然水」やお菓子を配布

指人形で遊ぶ子ども

たくさんの方が待っています

もうすぐ出来上がります

出来上がり

提供開始

お鍋を持参する方も

人の列が続きます

爪楊枝もどうぞ

爪楊枝入れの裏側

即席テーブルでお食事

最後の方へお渡し

会場裏手の住宅地

スーパーも工事をしながらの営業

撤収作業

宿泊地の岩手県北上市へ

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【3日目】 平成23年4月17日(日) 岩手県北上市〜岩手県大船渡市〜岩手県北上市
 
 3日目は午前10時に宿泊地の北上市を出発し、二つ目の活動地である岩手県大船渡市へ向かいました。
 
 大船渡市も今回の震災で大きな被害を受けた地域で、市内に入ると沿岸部は壊滅的な状況にあり、私たちは市内の避難所のひとつである「市立大船渡地区公民館」に到着しました。
 この避難所は沿岸地域を見渡せる高台にあり、300名近い方が避難所生活をされ、避難所周辺の地域にお住まいの方々も含めると1,000名以上の方が避難生活を送っていました。
 高台からは倒壊した建物や瓦礫となった沿岸地域一帯が見渡せ、被害の範囲の広さに驚かされました。
 

 
 避難所前に会場設営を行い、この日は夕食の炊き出しを行うこともあり時間的な余裕があったため、避難生活をされている方々とお話しをさせて頂いたり、町の状況を見る時間がありました。
 
 高台を下りて町を歩くと、道路沿いに堆積された瓦礫の山がつづき、家屋がつぶれ、かろうじて倒壊を免れた建物も窓や戸が無く、屋根が崩れ、内部には汚泥が入り込んでいました。
 町の小川の中にも瓦礫やつぶれた車が転がり、住宅地には大型の船が打ち上げられており、津波が町をかき回した状況が一帯に渡って見られました。
 
 避難所の中は、入口付近の事務所に避難所を運営している方々が詰め、1階ロビーには掲示板が設けられ自治体からの情報や避難所の運営に関する掲示物が貼られ、衣類などの支援物資が置かれていました。
 また、1階には体育館があり、畳を敷き詰めた体育館内にそれぞれが布団や日用品を個人や家族ごとにまとめて区画を設け、館内にはテレビが2箇所に設置されていました。
 また、2階には畳敷きの部屋があり、ここで避難生活をされている方もいました。
 
 この日は岡山県の医療救援チームが避難所内で活動しており避難者の方々一人ひとりとお話しをしていたほか、2階では読み聞かせボランティアが子供たちへの読み聞かせを行っていたり、避難者へのマッサージを行っているボランティアがいました。
 
 避難所の皆様は明るく温かく迎えて下さり、網走や北海道のお話しや大船渡市のまちのこと、今回の津波のこと、この日の炊き出しのことなどを気さくに話して下さいました。
 

 
 午後4時30分から炊き出しが開始されました。
 ここでは避難所を運営されているスタッフの方々のご協力も得て、最初に避難所にいる方々を対象に提供を行い、その後周辺地域にお住まいの方々に提供を行いました。
 石巻市と同様、食事のほかに「網走の天然水」やお菓子・コーヒー・爪楊枝入れと市民ボランティア団体「どこ竹@オホーツク竹とんぼの会」が提供下さった手づくり竹とんぼをお配りしました。
 
 大船渡市の皆さんは「魚物が食べたかった。」そうで、この日の食事を大変喜んで頂き、炊き出しは日が落ちるまで続きました。
 途中、ご飯が炊き上がるまでの時間などに皆さんをお待たせしてしまう場面もありましたが、この間は列に並んでいる方々にお汁をお配りしたりお話しをさせて頂き、また、終盤には丼容器が無くなり急きょ別の容器に入れて提供する場面もありました。
 
 結果、この日は午後8時過ぎまで炊き出しを行い1,100食を提供しました。
 会場を撤収し午後9時頃に大船渡市を発つ際には避難所のスタッフの皆さんや避難所の方々、近隣の団地の方々も窓から手を振って見送って下さいました。
 
 北上市へ帰るバスの中は、一同が2日間の炊き出し支援を無事に完了し被災地の皆様に喜んで頂いた安堵感と、温かく迎えて下さった大船渡市の皆様への感謝の気持ちに包まれました。
 
 

会場に向かう車中より

会場の大船渡地区公民館

桜が満開でした

高台から町を一望できました

沿岸部一帯に被害の跡

公民館玄関

公民館前に会場設営

準備開始

お菓子の梱包作業

「網走の天然水」も用意

ご飯の釜は5つ

コーヒーをスタンバイ

道路脇の瓦礫

川の中にも瓦礫や車

住宅地に流された大型船

屋根の上の車

施設内の掲示物

避難所内の様子

マッサージボランティア

気さくに迎えてくれた大船渡の方々

「つなみになんかに負けないぞ」

読み聞かせボランティア

2階の皆さんと

竹とんぼで遊ぶ子どもたち

提供開始

温かいお汁をどうぞ

調理も大忙し

皆さんに元気のつく食事を

日が落ちてきました

こちらも元気をもらいました

終わった頃には夜

会場の清掃をして終了

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【4・5日目】 平成23年4月18日(月)〜19日(火) 岩手県北上市〜仙台港〜苫小牧港〜網走
 
 予定していた石巻市と大船渡市の炊き出し支援活動を終え、帰路は18日(月)の午前10時頃に仙台港へ向けて岩手県北上市を出発し、途中、昼食をはさんで仙台港より苫小牧港へ向けて午後4時過ぎにフェリーが出港しました。
 この日はフェリー内での1泊となり、来た時と同様に道内の様々な町の名前を付けた制服を着た消防隊員が乗り合わせていました。
 
 19日(火)の午前11時に苫小牧港に入港するとそのまま陸路網走へ向かい、午後6時頃に網走に入ると一同緊張感から開放され、活動の成功と事故も無く終えた安堵感に包まれました。
 
 網走市役所前に到着すると市長をはじめ市職員や観光関係者の方々などが出迎えて下さり、堀口実行委員長の活動終了のご挨拶と市長からご挨拶を頂き、メンバーそれぞれがチームとして活動したこの数日間を称え合い握手や言葉を交わして活動を終えました。
  

帰路もフェリー「きたかみ」

まもなく北海道に到着

苫小牧港から網走へ

市役所前にて堀口実行委員長挨拶
 
翌日、市長へ活動完了のご報告

 
 
網走市社会福祉協議会 新海  記

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被災地派遣実行委員会及び支援協力企業・団体(敬称略)


【被災地派遣実行委員会】
○北海道全調理師会網走支部 ○網走社交業組合 ○網走市観光協会 ○網走市 ○網走市社会福祉協議会
 
【支援協力企業・団体】
網走バス ○(有)マリン北海道 ○潟}ルキチ ○潟tジイシ ○網走漁業協同組合
北海道LPガス協会網走支部網走分会 ○JAオホーツク網走 ○(有)大谷蒲鉾店
葛煦わさびオホーツク ○網走監獄保存財団 ○網走観光振興公社 ○はぜや珈琲
○どこ竹@オホーツク竹とんぼの会 古川元信 ○台町オピッタの家 中村眞理子 ○市民ボランティアの皆様

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網走市被災地支援協力隊(敬称略)


花のれん 堀口 敏幸 龍寿し 小田部 和俊
八点鐘 吉田 重喜 北天の丘あばしり湖鶴雅リゾート 千葉 聡
ペンション わにの家 須藤 龍司 網走セントラルホテル 杉木 紀之、泉 大亮
かに本陣 友愛荘 斉藤 正明 博物館網走監獄 森 剛弘
酒菜亭 喜八 部田 善民 オホーツク流氷館 三島 幸子、金田 さおり
【活齬怏ラ役】 一戸 慶喜 網走バス 加藤 真一、角谷 裕和
【LPガス協会】 小田 和博 【網走市社協】 山中 淳、新海 康孝
網走市役所 川田 昌弘、嶋田 泰志、新井田 篤志、佐藤 基、花田 源

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被災地支援活動に参加して


 今回の被災地への炊き出し支援活動には、社会福祉協議会もボランティア活動・市民活動を担っている機関のひとつとして参加をさせて頂きました。
 
 この度の東日本大震災は、東日本の太平洋沿岸地域の広範囲に渡って甚大な被害をもたらし、確認されているだけでも1万数千人の命が奪われ、十数万人の方々が避難生活を送っています。
 
 3月11日以降、市民活動センターにも「被災地支援をしたい。」「自分にも何かできないか。」という市民の皆様からのお問合せやご相談が多く寄せられ、テレビや報道で目にする現実とは思えない被災地の惨状や苦しい思いをされている被災者の状況に多くの市民の皆様が心を痛め、被災者の力になりたいと希望されていました。
 
 市内ではこれまでに震災義援金の募金には個人や企業・業界団体を含め日赤募金だけでも7千万円以上の寄付が寄せられ、街頭募金活動には子どもから高校生、一般のボランティアの皆様が街頭に立って募金を呼びかけ、多くの方が募金箱へ募金をして下さいました。
 
 
 また、市が呼びかけた救援物資の提供依頼にもたくさんの物資が持ち込まれ、被災地へ送るペットボトル水のラベル貼りボランティアは申し込み開始日の午前中で定員となるなど、市民の皆様の「少しでも被災地の役に立ちたい。」という思いが強く感じられました。
 

 
 今回の炊き出し支援活動も、市内の調理師の方々がプロの料理人として「被災地のために自分たちにできること。」を考え、実行された活動と思います。
 
 しかし、今回活動を行ったメンバーは皆始めての活動であり、また、現地は今だ余震が続き、建物の倒壊や土砂崩れの恐れ、避難所での感染性疾患の蔓延や瓦礫から発生する粉じん、破傷風など、安全性や衛生状況が良くない中での「被災地支援」という活動に緊張感や不安もある中での活動でした。
 
 そして震災の被害を受けた方々は今もそのような環境の中で生活されています。
 
 石巻市と大船渡市の活動は地域や避難所の方々が本当に温かく迎えて下さり、「遠くから大変だったね。ありがとうね。」と震災で大変な思いをされている方々から逆にこちらにお気づかいを頂き、提供させて頂いた食事や品々を大変喜んで下さいました。
 
 今回、炊き出しの調理を行ったのは主に市内のホテルや飲食店に所属する調理師の方々です。
 
 今回の活動では、普段は市内のそれぞれのお店などで仕事をされている方々がひとつのチームとして活動し、現場ではチームワークと手早く手際の良い調理を行って一生懸命仕事にあたっていました。
 また、調理にあたってのガスの設置ではLPガス協会から器材の提供と専門の方に設置・管理をして頂けたことが、安心・安全に調理をするための大事な下支えとなりました。
 
 そして、何より一人ひとりが被災者に喜んでもらいたいという心意気に溢れている姿に網走市民の一人としても誇らしく感じ、普段、私たちは裏方として仕事をされている料理人の方にはお会いする機会は少ないかもしれませんが、網走にはそんな心意気を持った料理人がいることを市内外のたくさんの方に知ってもらいたいと思いました。
  
 また、震災の影響があり土地勘の無い場所での移動や物資の輸送では、網走バスの運転手をはじめ市や民間会社の運転手が的確で安全に私たちと物資を運んでくれたことも今回のスムーズな活動ができた大きな要因でした。
 

 
 今回の活動では被災地の皆様には食事のほかにも様々な品々を提供させて頂きました。
 
 これらは全て市内の企業や団体、個人が「被災地を支援したい。」というお気持ちのもと提供下さったものです。
 
 食材や調理器材等を提供して下さった企業、コーヒー豆を提供して下さったお店、お菓子を提供下さった会社、また、網走の水のラベル貼りに協力して下さったボランティア、「被災地の子供たちにあげてほしい。」と竹とんぼや指人形を提供して下さったボランティア団体の方々、爪楊枝入れを急きょ手づくりで作って下さったボランティアの皆様など、今回の活動は被災地へ向かったメンバーだけではなく多くの市民や企業、団体の皆様のご参加・ご協力によるものです。
 
 そして大船渡市の方々に「網走でもたくさんの人たちが皆さんを応援していますよ。」とお伝えしたところ「ありがたいね。ありがとうね。」というお言葉を頂きました。
 
 今回の活動に際してご協力を頂きました全ての皆様にご支援・ご協力を頂きましたお礼と、お預かりした物を確かに被災地の皆様へお届けしたことをご報告致します。
 

 
 今回、大船渡市の被災者の方々に教えて頂いたことがあります。
 
 大船渡市では現在確認されているだけでも死亡・行方不明者が400名以上にのぼっておりますが、この中には地震や津波の警報が出された際に「避難したが一旦家へ戻ってしまったために亡くなった方もいる。」と話して下さいました。
 また、過去の津波を教訓に沿岸に建設された防潮堤を乗り越えるほどの津波は来ないだろうという「油断があった。」とも話して下さいました。
 
 逆に無事に避難できた方は「怖いと思っている暇がないほど懸命に逃げた。」とも教えて下さいました。
 
 そして、別の年配の男性は、当時仕事で近隣の町に行っていた際に津波が大船渡の自宅を襲い、その時自宅にいた高齢で病気により車椅子生活をしていた「妻の行方が今もわからない。」とも。
 
 北海道では今回の津波警報が出ていた地域の避難率は平均で2割にも満たなかったそうです。
 また、個人や家庭で非常袋や食糧の備蓄をしている方も北海道では2割以下という調査結果があります。
 さらに、岩手・宮城・福島の3県での死亡者のうち6割以上が60歳以上の方です。
 
 確かに私たちも「この地域には大きな災害は来ないだろう。」「今までも無かったから今回も大丈夫だろう。」という意識があるかもしれません。
 しかし今回、過去から大きな津波被害に見舞われ、津波対策や防災意識の高い三陸沿岸の地域の方々でさえ予想もできなかった災害が襲い、多くの命を奪いました。
 
 被災者のお一人は「70年大船渡で暮らしてきたが、こんなことは今まで無かった。」と話していました。
 
 今回の震災でわかることは100回のうち99回は被害が無くとも、たった1回の災害によって生死に関わる被害をもたらすことがあるということです。
 
 そしてそれがいつ来るかは誰にもわかりません。
 
 私たちが今回の震災で学ぶべきことのひとつに、災害に対しては「油断をしない。」で「自分で自分の身を守る備え。」をしておくことが必要だということがあります。
 
 まずは私たち一人ひとりの意識の持ち方が防災対策の第一歩かもしれません。
 
 町の防災対策は、個人が行うべきこと(自助)、住民同士で行うこと(共助)、公的機関が行うこと(公助)が連動してひとつの対策と言われますが、高い防災対策は、まずは住民個々人の高い防災意識があってこそ成り立つことだと思います。
 
 一般に大規模災害時の公的な救援は3日は来ないと言われ、その間は自力又は他者と協力し合って生き延びていくための備えが必要と言われます。
 
 このため、まずはご自身やご家庭で「非常時に持ち出す物をまとめた非常袋の用意」や「避難場所の確認」、「防災対策や応急処置等の学習や訓練」、また、非常時に自力で避難できない方は「近隣の方や町内会の方と話し合って協力をお願いする」などの備えをし、非常時には甘い判断をせず「速やかに避難する」ことが大切であることを痛感しました。
 


 
 現在、被災地では県外ボランティアの受入れが行われている地域が増え、全国の多くの方が支援を行っています。
 
 網走市内の方でも被災地支援活動に行かれる方・行かれた方や、後方支援として前述のような義援金の募金や市内での支援活動に参加された方もいらっしゃると思います。
 
 今回の支援活動で改めて感じたのは、被災地の復興の主役は被災地の方々であることです。
 
 これは支援をする・されるという関係ではなく、支援者はその方々にとっての黒子役であり裏方として、被災者の生活や地域の復興をお手伝いさせて頂くという立ち位置で活動をしていくことが大切だと思いました。
 
 それには、支援者側の一方的なやり方や考え方、価値観を押し付けたりせず、被災地の状況やニーズを捉えて被災者本位で何をすべきかを考え、自分にできることを行っていくことが支援者の立ち位置だと思います。
 
 また、今回の震災の復興には長い時間がかかりますので、今後私たちも息の長い支援をコツコツと行っていくことが大切だと感じました。
 
 
 最後に、今回の支援活動を通じて温かく迎えて下さった石巻市及び大船渡市の皆様へ心より感謝を申し上げますとともに、皆様がご健康で1日も早くそれぞれの生活を取り戻し、町が復興していくことを切にお祈り申し上げます。
 

 
2011.5.6 網走市社会福祉協議会 新海  記

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